大好きだったピクサーだが、なんだかこのところ不振に喘いでいる。新作のヒットがなかなか出ないのだ。そんなディズニー&ピクサーが贈る新作は果たしてどうか!?
本作の主人公は、大学生のメイベル。 彼女がビーバーになることを選んだのは、環境活動家としての使命感からでも、動物愛護の理念からでもない。もっと個人的で、もっと切実な理由から——大好きなおばあちゃんと過ごした大切な思い出の森が、高速道路の建設計画で消えてしまうことを知ったからだ。
ここが肝心なところだ。この映画の動力源は「自然保護」という抽象的な大義ではなく、祖母との記憶という、ひどく具体的で小さな愛情である。おそらく誰もが持っているはずの——あの場所、あの匂い、あの人の声——そういうものへの郷愁が、一人の若者をビーバーロボットの中に放り込む。発端がこれほど人間的であることが、本作の品位を決定づけている。
動物が大好きなメイベルは、科学者たちが発明した人間の意識を動物ロボットに転送させる装置を使い、ビーバー型のロボットに意識を「ホップ」した。動物たちと交流したメイベルは喜びを爆発させるが、シビアな自然の掟を目の当たりにする。 動物の世界は「もふもふ」の外見とは裏腹に、食うか食われるかの容赦ない論理で動いている。メイベルが森に抱いていたロマンチックなイメージは、早々に現実の牙に噛み砕かれる。
しかしそこで本作はもう一段、踏み込んでくる。「自分が正しい」と一方的に思い込むのはよくない——主人公もまた動物たちのことを全く理解していなかったと気づき、後悔と失敗を繰り返しながら同じ目線の関係性を構築していこうとする。その姿には学びと成長がある。 森を守るためなら何でもしていい、という思い込みがいかに危険かを、メイベルは身をもって知る。
監督のダニエル・チョンはスタジオジブリの高畑勲監督『平成狸合戦ぽんぽこ』(懐かし~!)からインスピレーションを受けたと語っている。その影響はたしかだ。人間と自然の軋轢を正面から描きながらも、どちらかを一方的な悪として裁断しない——その複雑さへの誠実さが、作品に奥行きを与えている。
おばあちゃんとの記憶は、映画の出発点でありながら、実は到達点でもある。人は大切な場所を守ろうとするとき、いつの間にかその場所が象徴していた「関係性」そのものを守ろうとしていることに気づく。メイベルが最終的に学ぶのは、森の保護の方法論ではなく、相手を理解しようとすることの根気強さだ。それはおそらく、おばあちゃんから受け継いだものでもあるだろう。
複数の批評家がピクサーにとっての「原点回帰」と評した本作。笑いと冒険の皮を借りながら、その核心には、誰かへの愛から始まる小さな行動が世界をどう変えうるかという、古くて新しい問いが静かに宿っている。ピクサーの面目躍如と言えるだろう。
































