今月は昨年のエッセイコンテストで「親子の日賞」を受賞した作品をお届けします。皆さんも、私たちと一緒にジンワリしましょう。
「ざわめきの帰る家」 佐々木 菜緒 22歳 神奈川県海老名市
私は、或る日から家族旅行に行かなくなった。
大学受験のために机にかじりついていた……いや、そういう理屈をつけていただけかもしれない。
本当のところは、ただ家族と連れ立って喧しい場所へ赴くことに、理由が見いだせなくなったのだ。
――つまり、静けさが欲しかったのである。
家族は黙ってそれを受け入れた。やがて私を残して出かける旅の数が、少しずつ増えていった。
きっと、私が「静謐」を欲しているのを見透かしたのだろう。
私の家には静寂など、もとより存在しない。
テレビはいつも鳴り、笑い声が壁を揺らし、換気扇が唸り、エアコンが呻く。
家の隅のさらに隅にうずくまっても、ざわめきは追ってくるのだ。
――だが、家族がいなくなると、不意に訪れる。
空虚なほどの静けさが。
音もなく残されたこの体は、奇妙な解放に似た感覚を味わう。
部屋の隅から隅へと広がる空気は「シン」と澄むというより、「パキッ」と割れそうな緊張を孕んでいて、私はそれと一つになろうとする。
このまま、ずっと……静けさのうちに生きていたい――。
……そう思うのは、最初の三時間ばかりだ。
やがて、静寂は耳鳴りに変わり、シャリシャリと蝕むような幻聴を呼び寄せる。
私は気分が悪くなり、結局はテレビをつけ、音楽をかけ……
――ああ、帰ってきてくれ。
玄関が開くと、ドタバタと音が流れ込む。
笑い声が跳ね、食器の触れ合う音がひびき、テレビが無遠慮に騒ぎだす。
私は眉をひそめつつも、胸の奥では安堵している。
静けさは確かに私を慰める。
けれど、ざわめきこそが、私を何かとつなぎとめる。
「親子の日」というものがあるらしい。
私はその日を、花を贈る日でも、特別な言葉を交わす日でもなく、
ただ――ざわめきのありがたさを思い知る日として迎えたい。
ひとりでは味わえぬ不自由。
親と子とが交わることで生まれる不調和。
その不調和こそが、私にとっての生活であり、安らぎであり、
――帰るべき場所なのだ。
































